起土人形は、天保年間(1830ー1844)に、冨田村中屋敷(現尾西市冨田)の中島佐右衛門が、同郷の日比野忠四郎と共に名古屋御器所七本松(名古屋市昭和区)の土人形師のもとで技術を習得してこの地で作り始めたといわれ、現在は5代目中島一夫氏のみがこの技を受け継いでいるらしい。
本人の自宅を訪ねてみたのですが、そっとしておいてほしいとのことであった。体調を崩されて、現在は制作はされていない。後継者がいない無念さが伝わってくる。
起土人形の「起」は、すでに他のページで紹介しているように、かっては美濃路の宿場町として栄えたところでもあります。起土人形のもととなった名古屋の土人形は他の地域の土人形と同じく 京都伏見土人形の系譜を引くものといわれますが、現在残る形などからその流れをはっきりと浮かび上がらせることは難しいようです。

起土人形師の系譜

初代

中島佐右衛門

(明19没)

二代

佐兵衛

(明36没)

三代

佐十郎

(昭43没)

四代

佐太郎

(昭24没)

五代

一夫

   ̄

分家

佐吉

(昭41没)

(大正14生)

起土人形のはじまりについては、、別に枇杷島にて技を習得し、名古屋御器所七本松の土を使っていたともいわれますが、いずれも現在では検証できないようです。
なお、初代佐右衛門とともに人形作りをはじめたとされる忠四郎は約20年後には廃業したようです。
3代目佐十郎のとき、分家においても人形作りをはじめましたが、分家では昭和30年代後半に廃業したようです。この分家筋より本家の跡として入ったのが現在の一夫氏となる。


━ (一夫)

起の土人形の歴史